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2026年6月30日

「企業版の医者」として、未踏の頂へ。日本一のベンチャー投資家がUntroDで挑む「成功の方程式」づくり

UntroDメンバーインタビュー|Head of Investment 大重 信二

Forbes JAPAN「日本で最も影響力のあるベンチャー投資家ランキング」2025年版第1位。INCJ(旧産業革新機構)でアストロスケール、WHILLをはじめ約70社のスタートアップへの投資・支援・Exitを牽引してきた大重信二氏が、2026年、UntroD Capital JapanのHead of Investmentに就任しました。取締役の山家創とともにインベストメントチームとリアルテックファンド(ジャパンファンド)を共同で率いる新体制は、UntroDに何をもたらすのか。幼い頃「医者になろう」と志した少年は、長い回り道の末に「企業版の医者」という生き方にたどり着きました。日本一のベンチャー投資家は、なぜ次の挑戦の場にUntroDを選んだのか——。山家との対話も交えながら、じっくりと話を聞きました。

投資からEXITまで。「日本一」が率いる新体制

——まずは、大重さんがUntroDで担われる役割を教えてください。

大重:リアルテックファンドのシード・アーリー投資全体の統括と、個々の投資先に対する目利き、成長支援、そしてEXITです。これを永田さん、山家さんとともに三人四脚で進めていきます。バリューアップチームの力も借りながら、グロースマネージャーが投資先と対峙するのを支援するのがメインですが、私自身もプレイングマネージャーとして投資先と向き合っていくつもりです。

——投資判断のプロセスには、どのように関わるのでしょうか。

大重:社内には案件委員会と投資委員会という2段階の意思決定プロセスがありますが、その両方で委員を務めます。

「ファンドを閉じ切る」経験——山家が語る、Co-head体制の意味

ここからは、ジャパンファンドを大重とともに率いる取締役の山家創も加わり、新体制について語ってもらいました。

——山家さん、この共同トップ体制には、どのような意味があるのでしょうか。

山家:まず、永田さんと私だけでは、シード・アーリーのファンドを運営しきれないという問題意識がずっとありました。象徴的なのは、永田さんも私も「ファンドを閉じた」ことがない、ということです。閉じるというのは、最後にしっかりリターンを出して終えるということ。案件ベースの投資もEXITも経験してきましたが、ファンド全体として閉じ切った経験がない。案件数も非常に多いなかで、全体を見渡してどうEXITまで進めていくのか、本当に試行錯誤してきました。大重さんは、INCJでまさにその部分を閉じ切った経験を持っておられる。我々にどうしても必要な経験知です。

山家:ただ、共同統括といっても、縦割りやカチッとした役割分担を決めているわけではありません。永田さんも含めた3人で、状況を見定めながら適材適所にそれぞれの役割を果たし、ファンド全体のパフォーマンスを上げていく。そういう柔軟な体制です。

——お互いの強みは、どう補完し合うイメージですか。

大重:この半年あまり、顧問としてお二人の働き方を間近に見てきました。永田さんは出発点こそ投資家ですが、ユーグレナをCFO、CEOとして長く経営し、最前線で組織と事業を牽引して成果を上げてきた経験こそが一番の強みです。山家さんは、これだけの数の投資先を、変化し続ける足りないことだらけの組織と折り合いをつけながら、細かいところまで目配りをして丁寧に引っ張っている。一方の私は、政府系ファンドという業界全体を俯瞰する立場から物事を見ながら、投資先の、とりわけEXITと向き合ってきました。この三つの強みを持ち寄れば、投資からEXITまでのプロセスを、もっと力強く回せるはずです。

——マクロとミクロの視点が統合されるイメージですね。山家さんはいかがですか。

山家:大重さんはビジネスパーソンとしてあまりにも大先輩ですので、私が「補完」と言うのもおこがましいのですが(笑)。経験値はもちろんですが、顧問から一歩踏み込んでいただいた今年4月以降、明確に変わったと感じるのは、組織全体をマネジメントする「仕組み」の部分です。正直、私は感覚や独断で動いてしまうところもありましたが、大重さんが加わってから、特にグロースマネージャーのチームは、全体がギュッと引き締まってチームとしての力が増した感覚があります。

——山家さんから見て、投資家・大重信二の本質的な価値はどこにあるのでしょうか。

山家:大重さんというと、皆さん真っ先にアストロスケールを挙げると思います。もちろんそれも素晴らしい実績です。でも私は、大重さんが本当にやってこられたことは、それ以外の数多くの会社の「出口」を作り続けてきたことだと思っています。IPOという華々しい成果ではない、表には出にくいところにこそ、キャピタリストの真価が問われる。その経験を持っている人は、日本にほとんどいません。

大重:IPO以外のEXITは、マジョリティを持ってEXITをコントロールできるPE(プライベートエクイティ)とは違って、一つの手法だけでは上手くいきません。一件一件が、ものすごく固有の総合格闘技だと学びました。

ベクトルを合わせれば、合力は計算以上に強くなる

——お二人で、ジャパンファンドをどんなファンドにしていきたいですか。

大重:UntroDはもともと、ディープイシュー(人類の深刻な社会課題)にディープソリューション(根本的な解決策)を提供し、ディープインパクト(大きな社会的インパクト)を実現することをミッション・ビジョンに掲げています。まさにそれを実現したい。ただ、それは一人の5年やそこらの頑張りでは到底到達できません。いろんな能力を結集して、試行錯誤しながらバトンを繋いで少しずつ作っていくしかない。一人ひとりの強みは皆違いますが、それが共同作業として噛み合うように、ベクトルをしっかり合わせていく。そういう組織文化が目的達成の前提になると思っています。

——実際にUntroDに入ってみて、メンバーたちの印象はいかがでしたか。

大重:2025年9月に顧問に就いてから、彼らを見てきて感じたのは、みんな明るく真面目で、活動量が多い。キラリと光る能力も持っていてメンバー間のコミュニケーションも活発です。プロフェッショナルファームというのは、自分がサバイブして行くことに必死で、どこかお互いが戦っているような雰囲気になりがちなものですが、ここにはそれがありません。もっと大きなミッション・ビジョンを実現したい、出来るんだというパッションを持っている。ただ、どうしたら実現出来るのかというHowのところでは一人一人の動き方のベクトルはバラついているなとも思いました。彼らのベクトルが合ったとき、合計したパワーは単純合計以上に強く発揮されるはずです。

——長く在籍されたINCJと比べると、いかがですか。

大重:INCJは、もともと存続期限の決まっている組織でした。だから、組織の文化を作ろうという発想も意欲も薄かったんです。共通の目標を持って力を束ねるというよりも、その時々で必要な人材を集めて、必要なところに投入する。いわばプロジェクト型の組織で、それはそれで合理的でした。

一方、UntroDは永田さんの強い思いも込めて、永続する組織として作られています。一つの文化が、今まさに作られつつある段階だと思いますが、その方向性が、プロフェッショナル同士がしのぎを削るよりも、みんなで束になって互いの良いところを持ち寄って補い合う方向を向いている。これはすごく良いところだと感じました。

7年越しの「一緒にやりましょう」

——UntroDとは、どのように出会ったのでしょうか。

大重:リアルテックファンドの投資活動は、INCJ時代(当時は産業革新機構)からよく目にしていました。同じ案件で共同投資をしたこともあれば、我々が投資検討した案件に後からリアルテックが入っていたと知ったこともある。同じ領域で、お互い試行錯誤しながら頑張っている、という感覚を持っていました。

永田さんと初めてお会いしたのはコロナの少し前の2018年か2019年の頃です。共通の知人の紹介でお会いして、不思議とこの人とは通じ合える、と直感しました。社会課題の解決や社変会革を本気でやりたいと思っているピュアなところが印象的でしたし、なにより、初対面のその場ですぐに「一緒にやりましょう」とストレートに言われましてね。できることがあれば協力したい、という思いはその時から持っていました。

山家:実は永田が面談して半年くらい後に、私と藤井(取締役の藤井昭剛ヴィルヘルム)で大重さんを食事にお誘いしているんです。当時のリアルテックは3号ファンドの資金集めに苦労していた時期で、まだ若く経験の浅い私たちだけでは駄目だ、大重さんに来てもらわないと、と。

大重:そうそう。実はその頃、INCJをそろそろ辞めようかと考えはじめていた時期だったんです。自分の中で一番大きな案件だったアストロスケールを含めて難しい案件の出口が見え始めて、これをやり切ったらお役御免かなと。2020年あたりを目処に外に出ることも考えていました。ところが2020年4月にグループ全体を見る立場になり、翌年には執行役員になって、自分の案件だけでなく組織のマネジメントをやらなければいけなくなった。山家さんたちには「申し訳ない、まだしばらく辞められません」と(笑)。

山家:それでも諦めずに、1〜2年に一度は声をかけ続けていました。

——大重さんは2022年、経済産業省での講演で「日本は異端の成功例を生み出すことを重視すべき」「100億円をリード投資できるディープテックファンドが必要」と提言されていました。あの問題意識と、リアルテックファンドを選んだことはつながっているのでしょうか。

大重:つながっています。ディープテックの分野をなんとか立ち上げないと、日本はどうにもならない。その大きな方向性で理念が一致していたことは、間違いありません。当時、100億円をリードできるようなファンドは日本のどこにもなかった。自分で作るのか、どこかのファンドと一緒にやるのか、いろんな選択肢を考えました。でも現実的に考えると、自分一人で立ち上げたところでたかが知れている。ここから30年頑張れる年齢でもない。下手をすれば自己満足で終わってしまいかねない。誰かと一緒にやるなら——前から考えていた、あの人たちだと。

——最後のひと押しになった出来事はありますか。

大重:実はもう一つあるんです。昨年のリアルテックファンド10周年イベントのパネルディスカッションに呼んで頂いた際に、BCG(ボストンコンサルティンググループ)時代の非常に印象的だったお客様と、20年ぶりくらいに再会しました。その場ではご挨拶だけだったのですが、後日、先方からランチに誘っていただいて。そこで「ぜひUntroDを支えてやってくれ」と言われたんです。これまでやってきた仕事や、出会った人とのつながりが、巡り巡ってここに戻ってくる。ああ、これは一つの運命なのかなと。参画を決める、最後の納得材料になりました。

医者になれなかった少年が、「企業版の医者」になるまで

——ここからは、大重さんのルーツを伺います。どんな子ども時代でしたか。

大重:生まれは鹿児島で、6歳で東京に出てきました。子どもの頃の経験で言うと、二つあります。一つは父のことです。父は家が貧しく大学にも行かせてもらえなかった中で鹿児島の銀行員になっていたのですが、30代半ばで辞めてしまって、公認会計士の資格を取ると言って東京に出てきた。数年間、収入のないまま勉強し続けたんです。子どもが二人いる家庭で、当時は転職自体が珍しい時代ですから、幼心にも大変な家庭環境だと感じていました。でも同時に、「人は、やりたいことを止められないんだな」と。組織で働くのではなく自分の力で仕事をしたいという父の夢を、ずっと間近で見ていました。

もう一つは、2歳上の兄が重い小児喘息だったことです。母から耳元で「あなたは将来お医者さんになって、お兄さんを助けなさい」と囁かれ続けました。すっかり刷り込まれて、医者になることが小中学生の頃の自分の将来像だったんです。兄の喘息は高校に上がる頃には良くなっていたので、そこまで医者にならなきゃという強い思いはなくなっていましたが、それでも大学受験も医者になるつもりで勉強していました。ただ、残念ながら医学部には届かず、進んだのが東京大学の工学部です。「医者になりたかったな、なるべきだったな」という思いが、どこかに引っ掛かりながら大学時代を過ごしていました。

——工学部では、何を専攻されたのですか。

大重:機械工学科で、研究室はディーゼルエンジン。メカメカしいものをいじっていました。普通に行けば自動車や重機のメーカーに就職する世界で、自分もなんとなくそのつもりでいました。ところが、卒業研究の実験装置を作るために、建設機械メーカーの工場に2週間泊まり込んだんです。寮に住んで、毎朝工場に出勤して、夕方帰る。実は溶接が得意で、きれいなビードが引けるとスカウトまでされたのですが(笑)、ふと「俺は本当にこれをずっとやるのかな」と感じてしまった。面白さはある。でも、これが本当に自分の進むべき道なのか、その時の自分には判断がつきませんでした。もう少し世の中を見てみたい、と思ったんです。

——そのあと、進むべき道は見つかったのですか。 

大重:就職活動の中でたまたまBCGの採用セミナーに出会って、戦略コンサルタントという仕事を初めて知りました。企業の参謀役、プロの経営者という存在がこの世にあるのかと。こんなに面白い仕事はない、これになりたいと思いました。ただ、大学を出たての若造がいきなりなって大成できるものでもない。まずは大企業で基礎体力を養おうと考えて入ったのが、日本生命です。

——日本生命では、どのような経験をされたのですか。

大重:幸運だったのは、最初の上司が、後にライフネット生命を創業する出口治明さんだったことです。当時の出口さんはまだ若き課長で、私は5〜6人の小さなチームの一員として、本当に近くで働きました。ちょうど金融制度改革の議論が動いていた時期で、生保と損保、銀行・証券の垣根を越える制度づくりの議論に、業界のリーダーである日本生命の一員として関わる出口さんの姿を間近で見ました。一人の人間の突破力で、産業の形そのものを変えていく動きとはこういうものか、と体感しましたね。

ニッセイに入って10年後、BCGをあらためて受け、幸い採用されました。新卒のときに思い描いたとおり、戦略コンサルタントになったわけです。そこからの6年間は、虎の穴に放り込まれたような日々でした。24時間、死ぬほど戦略を考え続ける。「企業が戦うとはこういうことか」を徹底的に叩き込まれました。

——その頃には「医者になりたい、なるべき」という考えはもう消えていたのですか。

大重:戦略コンサル、プロ経営者という仕事を知ったとき、こう思ったんです。医者は人を助ける。この仕事は、企業を助ける。助ける対象もアプローチも違うけれど、本質は同じだ。これは「企業版の医者」なんだと。医者のような立ち位置で、事業に向き合える。そして今、間接的ではありますが、投資支援という形で医療の領域にも関われているのは、本当に不思議なご縁です。幼少期から描いた将来像と自分の進む道が、そこでもつながっている気がしています。

——日本生命、BCG、ドリームインキュベータ、そしてINCJ。キャリアを貫く一本の線も、そこにあるのでしょうか。

大重:経歴だけ見ると、背骨がないようにも見えるんですけどね(笑)。ベンチャーキャピタリストもスタートアップに対するかかりつけ医であって、エコシステムに対する医者なんだと思っています。だから自分の中では、全部がその時その時でつながって、役立っている。巡り巡って、無駄な仕事は一つもなかった。UntroDで働くようになった今も、INCJでやってきたことはもちろん、社会人になる前のことまで含めて、全部つながっているなと感じます。だからこそ、目先の仕事や出会う人を、その時その時で大切にしないといけない。心からそう思います。

ディープテックに「成功の方程式」を

——UntroDでこれから実現したいことを、長期と目先の両方で教えてください。

大重:INCJでは、個々の投資先の投資・支援・EXITで、成功例と言えるスタートアップを産み出すことに貢献はできました。でも本当は、個々の案件を超えて、もっとエコシステムを強くすることに関わりたかった。そこへの貢献をやり切れなかったという物足りなさが、ずっと残っているんです。UntroDは、ディープテックの領域に資金と人材が供給され続ける仕組みを作ることをビジョンに掲げている。まさにそれを、ご一緒したい。

ただし、持続的な仕組みは、リターンがないと続きません。だから目先は、ガツガツとリターンを上げることに集中的に取り組みます。

山家:そこは本当に正念場です。初期のファンドは、いまの4号ファンドとは全く違うスタイルで投資をしてきました。それらも含めて、最後までしっかりリターンを出し切る。ここに、大重さんの経験がどうしても必要でした。

——10年後、日本のディープテック・エコシステムはどうなっているのが理想ですか。

大重:いま種をまいたものが、ようやく10年後に花開く。それくらいの時間軸の世界ですから、途方もないことはぶち上げられません。ただ、一つとは言わず、二つ三つ、象徴的な成功例を作りたい。SaaSの領域には「成功の方程式」と呼べるものがあって、皆がそれに沿って投資し、成果を上げた時期がありました。ディープテックには、それがまだないんです。みんなが試行錯誤している段階です。成功例が積み重なれば、成功の方程式に近いものが少しずつ見えてくるはずで、10年後には、それを業界のみんなが共有できるようになっていたらいい。その先頭にUntroDが立ちたいですね。

人生の未踏領域は「7 Summits 2 Poles」

——最後に、仕事を少し離れて。人生で成し遂げたいこと、ご自身にとっての「未踏領域」はありますか。

大重:「7 Summits 2 Poles」です。七大陸それぞれの最高峰に登り、南極点と北極点にも到達する、合計9つの極地を制覇しようという登山や冒険好きの人が目指す最高峰の目標なのですが、これをやり遂げたいと、ずっと前から思っているんです。まだ5つも残っていて、INCJ時代は仕事と育児優先で進められなかったのですが、UntroDでは働きながら、なんとか時間を捻り出して挑戦したいなと。

——「未踏(Untrodden)」を社名に掲げる会社の投資責任者が、文字どおり未踏の頂を目指している。これ以上ない符合ですね(笑)。

無駄な仕事も、無駄な出会いもない

——最後に、キャリアや生き方に悩んでいる方へ、メッセージをお願いします。

大重:偉そうなことは何も言えないのですが、後になって振り返ると、「あの時の経験」「あの仕事での出会い」が思いがけずつながる、ということが、私の人生には本当に何度もありました。無駄な仕事も、無駄な人間関係もない。だから、目の前の仕事を一生懸命やるのがいいんじゃないかと思います。

もう一つ、仕事の中で言うと、徹底的に追い込まないと見えてこない世界、超えられない壁があると私は思っています。もっともらしいアウトプットで満足せずに、他の誰もやったことがないくらいの精度、深さまで追い込んでいって、はじめて見える景色があります。それを、特に若い方にはおすすめしたいですね。

——本日は貴重なお話を、ありがとうございました。


大重 信二
UntroD Capital Japan株式会社
Head of Investment

2025年にリアルテックファンドを運営するUntroD Capital Japanに顧問として参画。2026年にHead of Investmentに就任。同社参画以前は、日本生命保険相互会社を経て、ボストンコンサルティンググループおよびドリームインキュベータにて戦略コンサルティングおよび事業開発に従事。2012年より株式会社産業革新機構(のちの株式会社INCJ)にてベンチャー・グロース投資グループのマネージング・ディレクターとして、ASTROSCALE、WHILL、スマートドライブ、エレファンテック、マテリアルコンセプト、SCIVAXなど多数の先進企業への投資を実施するとともに社外取締役として事業成長に貢献。2021年からは執行役員 共同グループ長を務め、約70社のスタートアップ投資先すべてのEXITを完遂。Forbes誌「日本で最も影響力のあるベンチャー投資家ランキング」2025年版第1位を受賞。東京大学工学部機械工学科卒。ミシガン大学経営大学院(MBA)卒。大重 信二
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